メンタルケアをテクノロジーでアップデート——VR×AI医療BiPSEE・松村雅代氏の現在地
Startup Vision Interview #17
メンタルケアをテクノロジーでアップデート——VR×AI医療BiPSEE・松村雅代氏の現在地
STORIUMが応援するスタートアップの魅力に光を当てるストーリー。今回は、BiPSEEの松村氏のインタビューをお届けします。 厚生労働省の患者調査によれば、日本では年間約127万人がうつ病で医療機関を受診し、その多くが抗うつ薬による治療を受けている。しかし薬物療法には限界があり、認知行動療法のような心理療法は効果が認められながらも、言語によるコミュニケーションの負担や宿題の継続性といった課題から、途中で離脱する患者も少なくない。 「患者さんが持っている治す力を最大化すること。それが医療の最大の使命だと思っています。」 そう語るのは、BiPSEE(ビプシー)代表取締役社長兼CEOの松村雅代氏だ。心療内科医でありながら、VRとAIを活用したデジタル治療(DTx)の開発に挑む起業家である。リクルート勤務、アメリカでのMBA取得、医療ベンチャー勤務を経て医学部に編入するという異色のキャリアを歩み、2017年に創業。現在は高知大学との共同研究で探索的試験を完了し、PMDA(医薬品医療機器総合機構)から優先審査品目に選定されるなど、医療機器としての承認に向けて大きく前進している。 松村氏が開発する「「うつ病治療を目的としたVRデジタル療法」」は、VRとスマートフォンを組み合わせ、12週間にわたってうつ病患者の回復を段階的に支援するプログラムだ。治験前の予備的な臨床研究である探索的試験では、既存の抗うつ薬や他のデジタル治療と比べて、症状改善に明確な差(群間差)が確認され、臨床的な有効性を実証した。だが彼女の視野は、うつ病治療だけにとどまらない。がん患者のピアサポート訓練、引きこもり支援、企業向けメンタルウェルネスなど、デジタル技術で精神医療の裾野を広げようとしている。 「医師と患者は対等であるべきだ」——その信念はどこから生まれたのか。なぜ彼女は安定した医師のキャリアを捨ててまで、起業という困難な道を選んだのか。BiPSEEが目指す未来とは何か。本稿では、松村氏の原体験から事業戦略、そして医療システム変革への挑戦までを深く掘り下げる。
インタビュイー
リクルートを経て、米国MBA留学。米国スタートアップの日本支社代表等を経験後、医学部に学士編入して心療内科医となり、起業。うつ病の治療を目的としたVRデジタル治療薬の開発を行っています。加えて、VRとAIを活用したメンタル・ウエルネス、予防、回復プロセスを支援するプロダクトの開発と提供を行っています。心療内科医としては、成人の発達障害(神経発達症)外来担当、産業医の経験が豊富です。現在も都内のクリニックで心療内科臨床を続けています。
ミッション
興味関心
STORIUMが応援するスタートアップの魅力に光を当てるストーリー。今回は、BiPSEEの松村氏のインタビューをお届けします。
厚生労働省の患者調査によれば、日本では年間約127万人がうつ病で医療機関を受診し、その多くが抗うつ薬による治療を受けている。しかし薬物療法には限界があり、認知行動療法のような心理療法は効果が認められながらも、言語によるコミュニケーションの負担や宿題の継続性といった課題から、途中で離脱する患者も少なくない。
「患者さんが持っている治す力を最大化すること。それが医療の最大の使命だと思っています。」
そう語るのは、BiPSEE(ビプシー)代表取締役社長兼CEOの松村雅代氏だ。心療内科医でありながら、VRとAIを活用したデジタル治療(DTx)の開発に挑む起業家である。リクルート勤務、アメリカでのMBA取得、医療ベンチャー勤務を経て医学部に編入するという異色のキャリアを歩み、2017年に創業。現在は高知大学との共同研究で探索的試験を完了し、PMDA(医薬品医療機器総合機構)から優先審査品目に選定されるなど、医療機器としての承認に向けて大きく前進している。
松村氏が開発する「「うつ病治療を目的としたVRデジタル療法」」は、VRとスマートフォンを組み合わせ、12週間にわたってうつ病患者の回復を段階的に支援するプログラムだ。治験前の予備的な臨床研究である探索的試験では、既存の抗うつ薬や他のデジタル治療と比べて、症状改善に明確な差(群間差)が確認され、臨床的な有効性を実証した。だが彼女の視野は、うつ病治療だけにとどまらない。がん患者のピアサポート訓練、引きこもり支援、企業向けメンタルウェルネスなど、デジタル技術で精神医療の裾野を広げようとしている。
「医師と患者は対等であるべきだ」——その信念はどこから生まれたのか。なぜ彼女は安定した医師のキャリアを捨ててまで、起業という困難な道を選んだのか。BiPSEEが目指す未来とは何か。本稿では、松村氏の原体験から事業戦略、そして医療システム変革への挑戦までを深く掘り下げる。
患者中心の医療を求めて——MBA留学という挑戦

Photo credit: Cards84664 via Wikimedia Commons
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松村氏のキャリアの転換点は、リクルート時代に自身が患者として経験した出来事にある。体調を崩して受診した大学病院で、彼女は日本の医療現場における構造的な問題を目の当たりにした。医師と患者の間には、明確な力の非対称性が存在していた。
「治療を受ける側」として受動的な立場に置かれる患者たち。その現実に強い疑問を抱いた松村氏は、医療をサービス業として再定義し、患者を対等なパートナーとして尊重する仕組みを学ぶべく、アメリカのビジネススクールに進むことを決意する。この原体験が、後に彼女が開発するプロダクトの根底に流れる「患者の治癒力を最大化する」という思想の原点となった。
- インタビュアー
- 筑波大学を卒業されて、最初はリクルートに入社され、そこで体調を崩されたことがきっかけで、その後のキャリアに大きな影響を与えたと聞きました。
- 松村
-
当時は非常に多忙な毎日を送っていまして、その中で体調を崩してしまい、急に月経が来なくなってしまうという状況になったんです。産業医の先生に相談したところ、きちんと専門医に診てもらった方がいいということで、大学病院を受診するよう勧められました。それで大学病院での治療を始めることになったのですが、そこでの経験が後の人生を大きく変えることになるとは、当時は全く想像していませんでした。
ある日の診察で、白衣を着た私と同じような年代の人たちが大勢、診察室に入ってきました。医学生の臨床実習だったんです。主治医が私を指差して、「この人、毛深いでしょう。これはホルモン異常などが疑われる病気の可能性があるよね?」と学生たちに説明し始めた時、本当に「え?」という感じで、かなりショックを受けました。
後に私自身が医学生になってからは、臨床実習における教育という観点から、ああいう説明が必要だということは理解できるようになりました。でも、患者の目の前で、まるで教材のように指を差して説明することはないだろうと思いました。患者が医師と対等な立場ではない、医療サービスの受け手として尊重されていないという構造的な問題を、その瞬間に強く感じたんです。この経験が、私の中で医療というものに対する根本的な疑問として残り続けました。

- インタビュアー
- そこからアメリカのMBA留学を決意されたのですか?
- 松村
-
はい。患者が医療サービスの受け手として医師と対等な立場ではないという課題を、どうにか追求できる領域はないだろうかと調べました。そして、オハイオ州クリーブランドにあるビジネススクール(ケース・ウェスタン・リザーブ大学ウェザーヘッド経営大学院)に医療経営学専攻のコースがあることを知りました。そこでは医療コンサルティングを学べて、病院が基本的にマーケティング戦略に基づいて患者サービスを構築・提供しているということも分かりました。
オハイオ州クリーブランドには、世界中から患者がやってくるクリーブランド・クリニック(Cleveland Clinic)という有名な病院があります。大学と病院は提携していたので、クリニックを見学することもできました。そこで目の当たりにしたのは、医療を完全にサービス業として捉えている姿勢でした。敷地内にはラグジュアリーホテルもあって、アメリカの病院は入院期間が非常に短いという特徴もあるのですが、退院後も宿泊施設から通院できる仕組みが整っています。
クリーブランド・クリニックは特に心臓血管系に強い病院で、医療ツーリズムとして、自家用ジェットで来院されるような世界中の富裕層の方々のニーズをきちんと捉えて、しっかりお金を落としていただく仕組みが、経営という視点から精緻に構築されていました。医療もサービス業として、利益を出していかないとサステナブルではないという考え方を、実例を通じて学ぶことができました。
- インタビュアー
- MBAを取得されてから、なぜ医学部編入という選択をされたのですか?
- 松村
-
MBA取得後、米国医療系ITベンチャーSkilaの日本支社で代表を務めていた時期があります。Skila社はインターネットを基盤としたコンサルティングサービスを提供する企業で、私は日本市場におけるマーケティング情報を、クライアントである製薬メーカーさんや医療機器メーカーさんに提供するコンテンツ開発の役割を担っていました。ビジネスとしては非常に意義のある仕事だったのですが、そこで私自身が、日本の医療における一次情報を全く持っていないという決定的な限界を感じたんです。
本当に自分が実現したいこと——患者さんの治癒力を最大化するという理念を実現するには、今の状態で達成できるのだろうかと深く考えた時に、やはり限界があると思いました。情報を扱うだけでなく、自分自身が医学というバックボーンを持った方がいいと判断し、医学部編入を決めました。
一回きりの人生ですからね。お金も時間もかかりますし、キャリアも一旦中断することになります。でも最終的にやり遂げられたことは、本当にありがたいことでした。この経験があったからこそ、起業という選択もできたのだと思います。
2006年に岡山大学の医学部を卒業した後、初期臨床研修は地元の群馬で行いました。その後、専門研修を岡山大学病院に戻って行い、心療内科を専門として選びました。そこから横浜労災病院の心療内科に勤務することになったのですが、そこは労災病院という性質上、職場での適応障害やうつ病の患者さんが多く来院される病院だったんです。働く人のメンタルヘルスという重要なテーマに、早い段階から直面することになった経験が、後のBiPSEEの創業にもつながっています。
認知行動療法、そしてVRとの出会い

横浜労災病院で初めて神経発達症(当時は「発達障害」と呼ばれた)の患者を担当した松村氏は、従来の治療法では改善が難しいケースに直面する。より専門的な知識を求めて、日本初の大人の発達障害専門外来を開設した昭和医科大学烏山病院で外来診療を担当することになった彼女は、そこで新たな課題に突き当たる。科学的に有効性が証明された認知行動療法のプログラムが用意されているにもかかわらず、多くの患者が途中で離脱してしまうのだ。
なぜ患者は継続できないのか——その答えを探る中で、松村氏は日本の標準的な治療法が抱える構造的な問題に気づく。そして2016年、神経発達症の方々を対象としたプログラミングスクールのプロジェクトへの参加が、彼女の人生を再び大きく変えることになる。そこで出会ったVR技術が、「直感的に理解できる」という全く新しい治療の可能性を示したのだ。起業という選択肢も、そこで初めて現実的なものとして感じられた。
- インタビュアー
- 横浜労災病院での経験から、昭和大学附属烏山病院に関わることになったのですね?
- 松村
-
はい。横浜労災病院で初めて神経発達症の患者さんを担当したのですが、神経発達症を背景に、二次的にうつ症状を併発しているケースでは、通常の抗うつ薬治療がうまく機能しないことも多く、なかなかうまくいきませんでした。どうしてあげたらいいんだろうと探索しているうちに、昭和医科大学烏山病院が2008年に大人のための発達障害専門外来を日本で初めて始めたことを知りました。そこできちんと学びたいという思いが強くなり、連絡を取った結果、最終的に外来を担当させていただけることになりました。ここでの経験が、BiPSEE創業の直接のきっかけになりました。
烏山病院では、集団精神療法、いわゆるデイケアと呼ばれる形式のプログラムが提供されていました。10人くらいの患者さんのグループに、臨床心理士、看護師、作業療法士などが加わり、構造化されたプログラムで、自分のメンタルをどう扱っていくかを考えたり、コミュニケーションに関するトレーニングを行ったりします。
コミュニケーションが苦手な方も多いので、「ソーシャルスキルトレーニング」と言って、挨拶の仕方や仕事を切り上げる時にどのように言うかといった、非常に具体的な場面で使えるスキルをシミュレーションして練習するんです。このデイケアプログラムは烏山病院で開発されたもので、今では厚労省のWebサイトにも掲載(※1)され、日本のスタンダードになっています。また、別のアプローチとしては、心理士が担当する認知行動療法も提供していました。

- インタビュアー
- しかし、この個別のアプローチを途中でやめてしまう患者の方も多かったと聞きました。
- 松村
-
はい。私の患者さんからも、認知行動療法に興味を持って参加した人は多かったのですが、途中でやめてしまう方も多かったんです。なぜこの方たちは、興味があって、認知行動療法が薬以外の有効な選択肢だと思っているのに、途中でやめてしまうのか。それが非常に大きな疑問であり、課題でした。いろいろ話を聞いてみると、まず言語コミュニケーションというのが、そもそも情報収集の方法として得意ではない方が多かったんです。
画像や体験を通じたものなら理解が非常に早いのに、言語による説明になると理解が進みにくいという特性を持った方が多くいらっしゃいました。私たち一人一人が得意なコミュニケーションスタイルを持っているわけですが、神経発達症の方はそれがとても顕著なんです。厚労省で標準的に保険収載されている認知行動療法は基本的に言語がベースになっています。それが一つの大きな壁だと感じました。
もう一つは宿題の問題です。次の面接の時に宿題を持っていくことを求められるのですが、宿題をやり忘れてしまうことが多く「怒られそうで嫌だ」という、学校の時のような感覚を持ってしまう方もいました。施設での指導は1週間に1度、あるいは2週間に1度なので、施設だけでなく、自宅でも課題に取り組んでもらう必要があります。それなりのボリュームの宿題が出るのは仕方ないだろうなと思いつつも、私の患者さんたちにとっては、そこがネックになっていました。そこで、患者さんが自宅で実践できる、画像や体験で直感的に学べるという方法はないのかという課題をずっと考えていたんです。
- インタビュアー
- その課題を解決する手段として、VRと出会われたのですね?
- 松村
-
お声がけをいただき、2016年に神経発達症の背景を持った方々のためのプログラミングスクールを作るプロジェクトに参加することになりました。これは、就労移行支援事業という福祉制度の枠組みを利用したものです。神経発達症の方々にとっては、治療だけでは不十分で、生活をどうやっていくか、キャリアをどう築いていくかが非常に重要です。
しかし医療機関では治療が中心で、就労やキャリアの支援までは手が回りません。私は個人的に就労支援・キャリア支援のプロジェクトを2年ほど前からやっていて、この領域の重要性を実感していました。本人が誇りを持てる、稼げる仕事につなげられないかという思いで参加したんです。そのプロジェクトには、スタートアップを起業したばかりの人たちもたくさんいて、「起業って、こんな思いでするんだな」と初めて身近に感じることができました。
そのスクールはトップエンジニアを養成するというビジョンを掲げていて、その中の一つの領域がVRエンジニアだったんです。私はVRは聞いたこともなかったのですが、講師の候補として集まったVRエンジニアが作ったVR作品を体験させてもらったところ、その没入感にびっくりしました。
私はゲームが得意な方ではありませんが、そんな私でもVR空間の中に入ると、どんなゲームかが直感的に理解できたんです。これには本当に驚きました。そのとき、「これは治療に使える」と思いました。認知行動療法を基盤とした新しい治療方法の選択肢として、これは使えると確信した瞬間でした。
うつ病治療を目的としたVRデジタル療法の開発と臨床的有効性の実証

BiPSEEは2017年の創業当初、子ども向けプロダクトも展開していたが、2020年以降はうつ病治療に特化する戦略を取った。リソースが限られるスタートアップにとって、複数の領域に手を広げるより一つの領域で確実な成果を出す方が生存確率は高い。経営判断としては合理的だが、それだけではない。松村氏には医師として、うつ病という疾患に真正面から向き合い、エビデンスで有効性を証明したいという強い思いがあった。
VR技術が「直感的に理解できる」という可能性を示すだけでは不十分だ。医療機器として承認を得るには、科学的に厳密な臨床試験で効果を実証しなければならない。こうした臨床研究の成果を基盤に、BiPSEEは本格的な製品化と普及フェーズへと歩みを進めていった。
- インタビュアー
- 現在の主力プロダクト「うつ病治療を目的としたVRデジタル療法」について教えてください。
- 松村
-
うつ病治療を目的としたVRデジタル療法は、自宅で12週間受けられるプログラムになっていて、最初の8週間はVRコンテンツとスマホアプリを視聴します。8×7で56日分のVRコンテンツがあります。患者さんが飽きないように、少しずつ違うプログラムになっています。
回復のプロセスを考えると、3つの段階が必要なんです。まず第一に、自分の症状と症状を改善するスキルがあることに気づくこと。これは、スマホとVRを活用します。第二に、スキルを学ぶこと。これはVRで行います。VRの没入感の中で、基礎的なスキルを直感的に学んでいただきます。第三に、学んだスキルを日常生活で実践すること。ここでスマホの機能が必要になります。自宅や職場など、日常の中でスキルを実践する工夫をスマホが後押しします。
そして、最終的には「一人立ち」していただきます。これがとても重要なんです。探索的試験では8週間という治療期間だったんですが、「一人立ち」をより強力に後押しするために、治験ではもう少し期間を伸ばし、12週間のプログラムとしました。
最初はVRとスマホを両方使う期間、次にスマホだけを使う期間、そして最終的には患者さんが自立して日常生活を送れるようになる。この「一人立ち」のプロセスをすごく大事にするために、プログラムのデザインをしっかり構築しています。患者さんが徐々に自立していけるような、段階的なサポートの仕組みになっています。
- インタビュアー
- うつ病治療を目的としたVRデジタル療法の臨床的な有効性を実証するため、どのような取り組みを進めてこられたのですか?
- 松村
-
高知大学との共同研究で、探索的試験を実施しました。これは治験の一歩手前の研究で、本格的な治験のデザインを決定するために必要なエビデンスを獲得する段階です。特定臨床研究という枠組みで、約50名の患者さんを被験群と対照群に分けて検証しました。
測定には、抗うつ薬の治験でグローバルに使われるハミルトンうつ病評価尺度(HAM-D、ハムディ)を用いました。論文発表前のため詳細な数値は控えますが、確かにうつ症状が改善するという結果が出ました。
既承認の抗うつ薬やFDA初承認のデジタル治療アプリと比べても、私たちの試験ではさらに大きな群間差が得られました。これは大きな自信になりましたし、「ぜひこれを臨床に届けなければならない」という思いを強くしました。
探索試験と並行し、2024年1月にPMDAからプログラム医療機器として優先審査品目に認定されました。これは規制当局から有用性と期待値を認められたということです。PMDAの治験前相談も完了しており、治験のゴールとデザインについて合意できています。優先審査品目では、薬事承認プロセスが通常の約半分の期間で進めることが可能です。スタートアップにとって非常に大きな意味を持ちますし、期待に応えられるよう頑張っていきます。
事業領域の拡大——予防・診断・周辺領域への展開

うつ病治療領域で臨床的な有効性と規制当局からの評価を得たことで、BiPSEEの事業は次のフェーズへと進みつつある。単一の治療プロダクトとしての成功にとどまらず、そこで培った技術基盤や臨床的知見を土台に、予防・診断・支援といった周辺領域へと事業を拡張する段階に入ったのだ。
治療を「提供して終わり」にするのではなく、より早い段階から人々のメンタルヘルスに関わり、社会全体の予防力を高めていく——。その発想こそが、現在のBiPSEEの事業展開を貫く軸となっている。
- インタビュアー
- うつ病治療で承認を目指す一方、他の事業領域にも展開されていると聞きました。
- 松村
-
大きく3つの領域があります。「アバターAIケア」「VRXソリューション」「ヘルスケアDXパートナーシップ」です。私たちは今、うつ病治療をメインにやっていますが、予防や診断の方にも発展性があると考えています。うつ病という一つの疾患に対してアプローチをするというところは変わらないんですけれども、プログラムとして非常に充実してきました。治療だけでなく、もっと早い段階から、もっと広い範囲で、メンタルヘルスに貢献できるのではないかと考えて、事業領域を広げてきています。
- インタビュアー
- その中で「アバターAIケア」が特に興味深いのですが、うつ病とは異なる領域ですね。どのようなサービスなのでしょうか?
- 松村
-
がん患者さんのピア・サポート訓練にAIを活用しているサービスです。ピア・サポートというのは、がんを経験された方が最近診断された方のお悩みを聞いてサポートする仕組みで、厚労省が専門学会である日本サイコオンコロジー学会に委託して、地方自治体や患者団体等と一緒に研修プログラムを運営しているんです。
ただ、課題もあります。研修の開催数が限られていて希望者がなかなか参加できないこと、それから土日を使ったプログラムなので、特に働く世代で家族もいる方にとっては参加が難しいという声があるんです。そこでデジタルでできないかという話になりました。
AIを、患者への助言そのものではなく、助言する人の研修に活用していただいています。ピア・サポートを行っている企業体や日本サイコオンコロジー学会の先生方に協力していただいて、土日の研修のエッセンスを凝縮するだけでなく、多様な場面を経験できる、利用者の都合のよい時にいつでも練習できるなど、独自の強みを実現しています。
例えば、抗がん剤治療による脱毛への対応です。容姿はセンシティブなテーマなので、相談者への配慮や様々な状況への対応力がピア・サポーターに求められます。様々なシミュレーションをAIに学ばせて、私自身の心療内科医としての経験や、日本サイコオンコロジー学会の先生方や実際にピア・サポートしている方々に添削していただきながら作っています。職場に戻るがんサバイバーへのサポートなど、さまざまなシミュレーションをAIで実現しています。
- インタビュアー
- 治療だけでなく、予防や診断といった領域にも可能性があるとおっしゃいましたが、具体的にはどのような展開を考えているのですか?
- 松村
-
VRはセンサーとしての可能性も非常に大きいんです。病気ではなくても、例えば少し気持ちが沈んでいる時、視線の動き方がいつもと違うということが先行研究でもエビデンスが出ています。そうした変化を察知することで、治療というよりセルフメンテナンス的な手当てに使えると考えています。診断という領域にも、将来的には広げていきたいです。
ビジネスモデルとしては、基本的にB2BあるいはB2B2Cです。間に自治体が入るケースもあります。例えば、患者同士や支援スタッフが仮想空間上で交流・訓練できる独自のメタバース環境を構築しており、今は医療機関向けのうつ病復職プログラム「リワーク」の空間を全部メタバースに持ってくる共同研究をやっているんです。
こういったものを、引きこもりのお子さん向けにも展開できると考えています。各自治体でメタバース空間での取り組みが行われていますが、ただ集まるだけでいいのか、そこから次の一歩を踏み出すきっかけをどう作るかが大きな課題です。そういったところにも貢献できるプロジェクトを持っていますので、自治体との連携は非常にニーズが高いと思っています。
グローバル戦略と求めるパートナーシップ

日本での薬事承認を最優先としながら、松村氏はグローバル展開の青写真も描いている。ただし、戦略は市場ごとに大きく異なる。日本では保険収載を前提とした医療機器承認の道を進むが、アメリカでは全く異なるアプローチを取る。FDA承認という選択肢もあるが、時間と費用を考えれば、まずは企業に直接採用してもらう方が現実的だ——市場構造の違いを理解した上での、冷静な判断である。
2023年のPear Therapeuticsの破産に象徴されるように、デジタル治療(DTx)業界は厳しい局面を経験した。だが松村氏は悲観していない。「DTx2.0」とも呼べる新しい動きが出始めている。承認取得だけを目指すのではなく、トラクションを得られるところから着実に実績を積む——そうした柔軟な戦略を取る企業も現れている。BiPSEEもその流れに沿った展開を視野に入れる。
- インタビュアー
- 日本での承認を目指す一方で、グローバル展開、特にアメリカ市場についてはどのような戦略をお持ちですか?
- 松村
-
まず日本ではPMDAで薬事承認を取った後、保険収載という高いハードルがあります。それをクリアしていくことが最優先です。一方、アメリカ市場については様々なプログラムを利用しながら調べてきましたが、日本のように保険収載をして進めていくビジネスモデルは極めて難しいと考えています。FDA承認を取るという選択肢ももちろんありますが、まずはそこにこだわらず、企業に直接採用していただくB2Bアプローチをしっかり組み立てていくのが優先戦略だと思っています。
なぜ企業向けアプローチかというと、アメリカでは公的な保険はメディケアやメディケイドという高齢者や障害のある方々や低所得者向けのものしかなく、一般の方々は民間保険を使っている状況です。保険で収益を得ようとすると、全ての保険会社で収載される必要があり、これは非常にハードルが高い。一方、アメリカ企業は従業員の健康、メンタルも含めて維持していく施策をしっかり持っていて、これが採用でも非常に重要な要素になっています。予算もしっかりあるんです。実際にメンタルウェルネスに対する投資は、アメリカ企業にとって人材獲得競争の重要な要素になっていますから。
デジタル治療の市場環境については、Pear Therapeuticsの破産など厳しい状況もありました。ただ、去年くらいからは、複数のサービスを組み合わせた次世代型デジタル治療「DTx2.0」とも言える動きが出てきています。B2Bでパートナリングに成功した企業が、DTxを持ちながらIPOするケースも出てきていますので、必ずしも選択肢がゼロになったわけではないと思っています。ただ、承認を目指すのは時間もお金もかかりますので、まずは実際に導入実績を積み重ねられる分野から着実に事業を構築するのが良い選択肢だと考えています。きちんとした価値を提供できれば道は開けると思っています。
- インタビュアー
- 現在、どのようなパートナーや投資家を求めていますか?
- 松村
-
主に二つあります。一つは資金です。シリーズAのセカンドクローズを目指していますので、ご支援いただけるとありがたいです。VCの皆さんだけでなく、事業会社さんにも入っていただけるとありがたいと思っています。
もう一つは、メンタルウェルネス領域での事業パートナーです。薬事承認を得て保険収載していく治療の領域も大事なんですが、そこで得た信頼性を基盤にして、病気ではない状態からデジタルで手当てをしていくという領域で、実際の顧客に届けたいという思いがすごくあるんです。既に顧客を持っていて、そこに私たちのサービスをオンすることでメンタルウェルネスをさらにアップデートできるような企業さんと協業できたらと思います。

松村雅代氏の歩みは、医療システムへの静かな挑戦だ。患者体験から生まれた「医療への問題意識」、心療内科医として目の当たりにした「治療の限界」——それを変えるために、彼女はビジネスと医療、テクノロジーと人間理解を横断してきた。
「患者さんが持っている治す力を最大化すること。それが医療の最大の使命」
この信念のもと、彼女はMBA取得後も医学部に編入し、医師になってもなお起業という道を選んだ。言語に依存しない直感的な治療法を求め、VRという技術に可能性を見出した。その直感は、臨床研究によって実証された。
BiPSEEが目指すのは、単なるデジタル治療の開発ではない。医師と患者の関係性を再定義し、治療の選択肢を増やし、精神医療の裾野を社会全体に広げることだ。うつ病治療から始まり、がん患者支援、引きこもり支援、企業向けメンタルウェルネスへと事業領域を広げるのは、この理念の自然な展開である。
日本での承認を目指しながら、アメリカ市場への展開も視野に入れる。その先には、医療機関の枠を超えて、誰もが自分のメンタルヘルスをセルフメンテナンスできる未来がある。
「もう一回勝負しよう」——その覚悟が、今、臨床研究や医療機関との連携という具体的な成果となって現れている。患者の尊厳と治癒力を最大化する医療——それはVRやAIという技術を通じて、実現可能な未来なのだ。
※1 厚労省Webサイトより「発達障害専門プログラムマニュアル」
※2 本稿は、当社の研究開発活動および企業情報の提供を目的としたものであり、特定の医療機器の広告、プロモーション、または医学的なアドバイスを目的とするものではありません。記載されている内容は現在開発中の未承認医療機器であり、安全性および有効性は確立されておらず、販売・授与はできません。
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